漫画より超訳だ!

2月5日付東京新聞投稿欄より。

活字に親しむ習慣を
無職 本多正明・77歳(東京都世田谷区)

レストランの従業員がツイッター上で有名人が来店したことを書いたために、経営者が謝罪する羽目になったとの新聞記事を読んだ。
これはもう教育以前の常識の問題で、やって良いことと悪いことの分別もつかない若者が増えているということだ。
私は、こうした幼稚さによる非常識の原因は、漫画ばかり見ることによる思考力の低下・劣化にあるのではと思う。性描写と暴力と悪ふざけと、せいぜいダジャレが主内容のものが多く、世の中はどうあるべきなのか、人間はどうあるべきかなどということを、それとなしに考えさせるようなものが極めて少ない。
こうした漫画ばかり眺めていると、だんだん物事を考える力が衰えてきて、しまいには善悪も判別できないことになる。
昔の漫画は社会風刺か、でなければ、ほのぼのとした家庭やユーモラスな人間などを描いたものがほとんどで、児童教育にもプラスになる面があった。
新聞や小説その他の書物の場合、活字を目で追うことは、なにがしかの思考を必要とし、その面倒な頭の働きこそが頭脳を鍛えるといえる。
そこで、小学校高学年くらいから、新聞や古典小説、近代小説などを読むことを習慣づけ、できるなら義務づけることが望ましいと思う。
人間は楽をしようという本能があるから、外から義務づけるのが一番だ。最初は嫌がっても、そのうち必ず面白さや魅力を感じて好きになれるはずだ。そうすれば思考力は向上し、より一層高度なモノを求めるという良い循環が生じる。

昔のにしろ今のにしろ、いったいどんな漫画を読んでるんだこの人は――って、明らかにほとんど読んでないけど。性描写と暴力とダジャレって、「ゴラク」とかそのあたりか?
さすが手塚治虫国民栄誉賞をやらなかった国。というか、これ手塚漫画が俗悪と言われた頃の話なんじゃないだろうな?


そもそも漫画も小説も教育のためなんかじゃなく、面白いから読むんですが――などと言わずもがなのことまで言わなければならないような、こういう人たちを相手にしなければならないわけである、我々は。そりゃ条例も改正されるわ。


で、こういう人たちが子供に読ませたいのはどんなものなのか、というそのひとつの回答が、実はすでに前日の同じ欄において提示されていたのだった。

古事記読み心が豊かに無職 古沢無限・72歳(静岡県伊東市

このたび「超訳古事記」を読んだ。古事記は高校で習ったことはない。
超訳は朗読して復唱するには論語より易しく、子どもでも読めば理解でき、日本の古代史と神々のロマンの物語の中に、どうやって国土ができたかを知ることができる。
これを読んだ後は精神が豊かになったように感じる。古事記には、数多くの神々が登場する。小学生、中学生、高校生は学校で先生に読んでもらい、復唱すればよい。家庭でできる人は親に読んでもらってもよい。
イジメや自殺も超訳古事記を読めば、つまらなくなり減るに違いない。神社に行けば宮司さんが祝詞を奏上してくれる。祝詞には古事記の中の神々の働きが、役割に応じて出てくる。
一読は百聞にしかずである。本を読んだだけでも教養が身に付くから不思議である。
(2月4日付東京新聞投稿欄)

「何だか精神が豊かになったみたいです」
「先生や親に読んでもらい、復唱するだけなので、カンタンで長続きできるのがイイですね〜」
「もう誰でも、イジメや自殺もつまらなくなって減ると思いますよ」
「本を読んだだけでも教養が身に付くのが不思議ですね〜」


ほとんど通販なみにいいことづくめ。でも、いくらなんでも「どうやって国土ができたかを知ることができる」ってのはさすがに「教養」としてどうか。
「神社に行けば〜」のくだりにいたっては、もう意味不明。
しかし、そんなこんな以前に

超訳」かよ!

まんが日本史』とか読むのと変わんないだろ、それなら。
ちなみに、現物はだいたいこんな感じで、こんな感じ
いや、これは学校では……。


それにしても「ダジャレ」とか『古事記』とか、お前ら田中啓文か。