年寄りと電車と道徳と

2月4日付東京新聞投稿欄より。

車内の女性正視できず
無職 福島弘・70歳(神奈川県茅ヶ崎市
まさに異様な光景でした。土曜日の午前中の電車内です。車内は立っている乗客は一人もおりませんでした。私は何げなく正面の座席に目をやると、何人かの若い女性が携帯電話の操作をしていました。多分メール交換なのでしょう。
空いた席に一人の若い女性が座りました。その女性、化粧をし始めたのです。口をパクパクするやら、白目をむいてまつげを整えるやら、さらに手鏡をバッグから取り出すと、顔全体を繰り返し見るという行為、決して気分のいいものではありません。
さらにビックリしたことに、乗ってくる若い女性のほとんどが携帯電話を手にするか、化粧をするかのどちらかだったのです。私は正視できず、思わず目をつむってしまいました。
道徳心のかけらもない化粧する彼女たち、どんな教育を受けてきたものかと、嘆き悲しむ一日であったことは言うまでもありません。

まずは、いかにも“手慣れた”書きっぷりにイラッとしたり、「立っている乗客は一人も」いないのに「空いた席に一人の若い女性が座」る件に首を傾げたりするわけですが、それはさておき(いや、そこが本質か?)。
俺も、車内での化粧は見苦しいと思うけど、それってエチケットとかマナーの範囲で、「道徳心」なんてもんじゃないよなあ。携帯なんか手にしてるだけで非道徳なことらしいし。
こんなことで一日「嘆き悲し」んでたら、通勤者なんか鬱病になっちゃうぞ。
などと思ってたら、これに呼応する投稿が11日付に。

衆道徳は家庭内から自由業 山中摂子・69歳(横浜市瀬谷区
四日付本欄の「車内の女性 正視できず」を読んで、あらためて「道徳心」とは何ぞやと痛感した。先日のこと、小用で出掛けた帰りにある私鉄に乗った。混雑している車内。疲れたこの身にもう少しの辛抱だと自分に言い聞かせていたところ、目に飛び込んできたのは三人の外国人青年が優先席に座って談笑している姿だった。
人に注意するのは時には怖い目に遭うかもしれないからやめようと思ったが、外国人故これを機会に教えてあげた方がためになるかもと思い切って「ここはプライオリティーシート」とニッコリ話し掛けた。三人の若者は、一斉に大笑いしながら異口同音に「SORRY!」と立ち上がってその場を去っていった。
何と素直な青年たちだろうと感心した。優先席の注意書きに彼らは気が付かなかったのだろう。一日の疲れを忘れさせるすがすがしい出来事だった。彼らの公衆道徳心はどこで身に付けたものだろうか。残念ながら日本人の青年は大抵寝たふりをするか、居座るか、知らんぷりをするかが落ちでしょう。
衆道徳心はまず家庭からと断言する。

自分が座りたかったんで若いのどかした、としか読めないんだ。
福島氏が、なぜ携帯メールがいけないのか考えていないように、山中氏も「優先席」に何の疑問も持たず、自分には座る権利があると思ってる。
道徳心」などと言い出すなら、そもそも「優先席」なんてものを設定しなきゃならないこと自体を難じるべきじゃないの?
ちなみにこういう場合、日本人の若者も素直に席を譲るというのは、しょっちゅう投稿欄で報告されている(まあ、俺ならこういうババアには譲らないけどね。もう「青年」じゃないから)。
自分の狭い体験と思い込みからしか物事を判断できないのは(年寄り/若者を問わず)困ったものだ。そうした考えの浅さが、最後の「公衆道徳心はまず家庭からと断言する」に炸裂。いきなりどういう文脈だよ、おい。
こうした“正しいから正しい”の人は本当に厄介。理屈が通じない、というか自分自身理屈なんか持ってないからね。
もっとも、その主張自体は頷ける。だって、「公衆道徳心」のかけらも持ってないだろ、って年寄り多いもん。こいつらに育てられた子や孫だって、当然「公衆道徳心」なんかないよね、という。


それにしても、いつも不思議に思うのは、若い奴なら単に「知らない」場合も多いんだけど、年寄りはなんでマナーやエチケットを失っちゃうの? てこと。昔の日本人はちゃんとしてた、って言いたがるのにね。