植木等と古沢憲吾

東京新聞夕刊 犬塚弘「この道」(企画・構成 佐藤利明)より。

37 結婚

 話を少し戻します。「おとなの漫画」が始まってしばらくは、クレイジーは、車を持てる余裕もありませんでした。ある日、谷啓が最初に車を買ったんです。珍しいんで、みんな「乗せろ、乗せろ」って。外車ですけど、それがガタガタしたひどい中古車。鳥居坂で車輪が外れちゃった。「おい谷啓、舗道の脇を車輪が走っていくぞ」と植木が車から飛び降りて、車輪を追っかけていった。
 坂道だから、タイヤはコロコロ、植木が懸命に追いかけて行って、なんとか交差点で食い止めた。それで、そのタイヤをその辺にあった針金で留めて、植木の家までなんとか行って、タイヤを付け直したなんて、冗談みたいな話があります。(後略/2月18日付)

もうほとんど『大冒険』の1シーン。その『大冒険』の監督・古沢憲吾はというと、

42 無責任男

 昭和37年になると、ますます忙しくなりましたが、上大崎の渡邊晋邸での打ち合わせも続けていました。
東宝で植木主演映画を撮る。もちろんメンバーも一緒だよ」と渡邊晋から話があったのは、「シャボン玉ホリデー」が2年目を迎えた初夏のことでした。映画は7月公開の『ニッポン無責任時代』。青ちゃんが参加して、東宝文芸部の田波靖男さんとストーリーを組み立てた、植木のための企画です。
 ぼくはハナが社長の会社のサラリーマンで、谷啓の部下。桜井さん、安さん、エータローと一緒に組合を作ろうとしている、そんな役でした。
 東宝の撮影所は、世田谷の砧にありました。テレビもあるので、映画のセット撮影は、不規則な時間になります。監督の古澤憲吾さんは、聞けば、パレンバン落下傘部隊に参加したことがあるそうで、?パレさん?というあだ名の、やたらと元気の良い男。「シュートする!」と大声を張り上げて、植木に「何をやってんだ! もっと威勢良くやれ!」なんてご本人が、一番威勢がいいんです。
 植木が階段を上がるシーンがあるとします。サラリーマン役だからふつうに上がってくるでしょう。古澤監督は「そうじゃない! 駆け上がってこい!」です。植木は真面目な男だから、監督の言葉に従って勢い良く動く。
 映画の売りでもある歌のシーンも大変でした。お座敷の宴会で確か「ハイそれまでョ」を植木が唄って、ぼくらがバックをつとめる場面でした。キャバレーのフロアのような広いセットで、赤や黄色のライティングをして、唄わされるんです。「お座敷じゃないよ」と疑問を持つのが普通でしょう。ところが監督は「これでいい」と自信満々。「もっと派手に!」とオーバーアクションを要求するんです。
 ところが出来上がった映画を観ると、何よりも植木等の「無責任男」の強烈な印象が迫ってくるんです。この演出が功を奏して、植木のハリキリぶりが受けて映画は大ヒット。すぐにシリーズ化されることになります。(2月23日付)


43 パレさん

 東宝の『ニッポン無責任時代』は好評で、主題歌「無責任一代男」とともに大ヒットしました。渡邊晋も手応えを感じたのでしょう。次々と映画の企画がぼくらに舞い込んで来ました。昭和37年の秋には、NHKドラマの映画『若い季節』、そして年末には『ニッポン無責任野郎』に出演しました。監督はいずれも?パレさん?こと古澤憲吾さんです。
 テレビの合間に東宝撮影所に通いました。セットは早朝や深夜なので、僕らもさることながら、スタッフも大変だったんじゃないかと思います。セットに入ると、かんたんなリハーサルをして、すぐに「シュートする!」と監督の号令がセットに轟きわたります。監督の言われるままに動いて、場面を撮り終えていきます。
『ニッポン無責任野郎』で、ぼくが演じたのは、派閥争いのキーマンである専務役。階段を下りながら長いセリフを言うシーンで、監督から「何を言ってるんだ! 馬鹿野郎!」と頭ごなしに怒られました。でも、どこが悪いかわかりません。
 そこで監督に「どういうセリフ回しにしたらいいんでしょう? 悪いところがあったら教えてください」と聞いたんです。そしたら「オレをバカにするのか!」って。「いや、そうじゃなくて、質問しているんです」と言っても「オレを侮辱してる!」と怒り出したんです。
 昔の軍隊式というか、これが、パレンバンの落下傘部隊出身の?パレさん?の所以かと思いました。ここで喧嘩をしちゃいけない、と素直に謝りました。
 でもそれが悪かったのか、次の『日本一の色男』ではセリフもほとんどない週刊誌記者の役、以後、しばらくは古澤監督の映画には呼ばれなくなってしまいました。
 とはいえ植木等と最も相性が良かったのが、古澤監督です。「スーダラ節」や「ハイそれまでョ」などの青島幸男が作詞して、萩原哲晶が作曲した一連の歌のムードとイメージを、広げたのが古澤監督の『ニッポン無責任時代』であり、『ニッポン無責任野郎』立ったと思います。(2月25日付)

とにかく豪快。
確か植木等だったと思うが、テレビで語っていた思い出話では、歌いながらボートを漕ぐシーンで、水面下でロープに引っ張られているボートが漕ぎ方とは反対方向に進んでいるので疑問を呈すると、「いいんだ、観客はそんなこと気づかない!」と意にも介さなかった、というのがあった。
散発的に聞いてもこれだけ面白い人なのに、評伝・エピソード集の類が出ていないのは不思議だなあ。

ちなみに、実際には古沢監督が海軍に入隊したのは、パレンバン降下作戦より後だという話。映画そのまんまのホラ吹きか。
そういえば『キングコング対ゴジラ』のキングコング役で有名で、古沢監督のクレージー映画にもよく出ていた広瀬正一はソロモン海戦の生き残りで、「ソロモン」と呼ばれていたんだったよなあ(一説には筋肉ムキムキだったからとも言うが)。