犬塚弘が見た渥美清と三木のり平

東京新聞夕刊に連載中の、犬塚弘「この道」(企画・構成 佐藤利明)より。

28 渥美清


 喜劇人との共演といえば、日劇で初めて渥美清さんと同じステージに立ったことは忘れられません。クレイジーとしても初めての日劇だったんで、よく覚えています。ぼくらがワイワイやっていると、そこへ渥美清さんがやってきて、ぼくらと喧嘩になるというコントです。渥美さんは浅草のストリップ劇場から出てきて、この頃は日劇の上にあった日劇ミュージックホールに出ていたと思います。
 クレイジーの前にやってきた渥美さん、ステージの中央で見栄を切る段取りになっていたんですが、そこでいきなり「オレ、シャツ着てんだ!」と言い出したんです。「何でシャツなんだよ」と一瞬、思ったんですが、渥美さんの言い回しが、後の寅さんの啖呵売のように、鮮やかな口跡で、不思議な説得力があるんです。「シャツ着てんだ」の一言で、満員の観客はドッと笑ったんです。本筋とは全然関係ないのに、妙におかしい。植木もハナもぼくも、本当に笑いこけちゃった。
 後から知ったんですが、渥美さんは浅草時代に結核で肺を片方手術されて、上半身裸になると、傷痕が見えてしまう。だから、威勢良くシャツを脱ぐ訳にいかない。逆説的に「シャツ、着てんだ!」という言い回しになる。それを、笑いにしてしまったんじゃないかと思います。
 しかも、動きや顔の表情が天才的なんです。ぼくたちはジャズ・ミュージシャンであるけど、コメディアンとしては素人同然ですから、お客さんと一緒に笑いこけてしまったんです。渥美さんが「オレはずっと浅草でやってきたんだ。東京の中央、丸の内の檜舞台は、これが初めてなんだ」と言ったことを覚えています。クレイジーも初めてでしたけど、比べ物にならないほど、嬉しかったんだと思います。
 それから十年ほどして、山田洋次監督と渥美さんの「男はつらいよ」が始まります。ぼくも、しばしば共演することになり、第24作『寅次郎春の夢』では幼なじみの大工の棟梁を演じました。その時は、まさかぼくらが映画で共演するなんて、夢にも思いませんでしたが。(2月6日付)

35 三木のり平


シャボン玉ホリデー」と同じ昭和36年にスタートした、NHKの「若い季節」は、日曜日の夜8時からの45分の生放送でした。化粧品会社の話で、淡路恵子さんが社長で、松村達雄さんが専務、三木のり平さんが宣伝部長。それに沢村貞子さん、有島一郎さんといった映画界で活躍している方々と、クレイジー、渥美さん、坂本九ちゃん、ダニー飯田パラダイスキングといった面々が出演して、とにかく賑やかな番組でした。
 ドラマですから、セリフを覚えなければなりません。しかも台本ができるのが前の日、ヘタすりゃ当日の朝なので、ぼくらは一苦労でした。一生懸命セリフを覚えるけど、ディレクターもこれだけの俳優をさばくのが大変。のり平さんがまたセリフを覚えてこないんです。
 あるとき、のり平さんと稽古場で本読みしていたら、のり平さんのセリフがものすごく長い。みんなで「大丈夫かな」って心配していたんです。いよいよ本番、ぼくはスタジオのモニターで、様子を見ていたんです。
 松村達雄さんの専務が「宣伝部長、来るって言ったのに、なかなか来ないな」と、本当に困ってるんです。ふと横を見たら、のり平さん、ぼくと一緒にモニターを見ている。「ここ出番じゃないですか?」「そうだった」と、セットに入っていった。「専務、言いたいことがあるんです」「なんだ?」といっても、のり平さんセリフ入っていないから「専務」「早く言え」と松村さんとの問答が続くだけ。
 そしたら、のり平さん「この女たらし」と言って、こっちに戻ってきちゃった。松村さんひとりで残されて心配したけど、さすが、真面目な松村さん、のり平さんのセリフも覚えていたんです。「彼が、俺に女たらしと言ったのは、こういう事を言いたかったんだな」と、自然に説明するんです。アドリブで。驚きましたね。
 本当の役者というのは、こういうことができないといけないんだと感心しました。そのときはまさか役者を生業にするとは思いもよりませんでしたが。(2月15日付)

クレイジー渥美清、というとハナ肇との確執というやつを想起したりもするのだが、山田洋次作品の初期はハナと、中後期は渥美と共演している犬塚にしてみれば、特にこだわりはないんだろうね。


社長シリーズが嫌でたまらなかったというのが、どうしても信じられないくらい板についている三木のり平は、ここでも素敵ないい加減さ。やっぱり、本当にああいう人だったんじゃないのかと思いたくなる。


ともあれ、犬塚弘クレイジー・キャッツ最後のひとりになってしまった。どんどん聴いておかないと。