魔の山へ飛べ

 黒史郎の『妖怪補遺々々』は最近刊行もされたが、元はオカルト雑誌『ムー』のwebサイトに連載されていた/いる、古今の文献からの妖怪譚発掘コラム。
 そこで紹介されていた岸虎尾『魔岳秘帖 谷川岳全遭難の記録』(1959 光和書房)は、新聞記者として30年余にわたって谷川岳を取材してきた筆者が開山前夜の大正四年以来、刊行当時のリアルタイムである昭和34年(夏山シーズン中なので、さらに死者が出続けている)まで半世紀近くに及ぶ遭難死の歴史を繙いていく。その数、実に265名!

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 信仰の山の時代には、神職や地元の人間が遭難しては罰が当たった、神の怒りだと噂されていたが、スポーツ登山の対象として開かれるや腕自慢の山男から、山を甘く見たチャラい男女までが大挙して押し寄せ、遭難が頻発。遭難者の救出や遺体の搬出が行われているその脇で、新たな遭難者が出るという状況。その報道に刺激され、さらに登山者が集まってくるという負の連鎖には、「そこに山があるからだ」がマロリー卿が言った本来の即物的な意味をもって立ち上がってくる。遭難発生のたびに駆り出される地元の人々にとってみれば、もうほとんど迷惑施設である。
 現場で取材や捜索活動に長年携わってきた筆者もまた、そうした状況に心を痛め、警鐘を鳴らすために筆を執っただけあって口絵の段階から殺到する安易な登山者の群れ、遺体の収容作業や荼毘に付される様子などの写真をこれでもかと突きつけてくる。

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 だが、そうした煽り立てるような口絵写真から一変、本文はむしろ抑えた筆致で淡々と、遭難事件をひとつまたひとつ紹介していく。これが怖い。
 何しろ数が多く、しかも切れ目なく発生していくので、一件一件に思い入れなどしている余裕はない。特筆すべき要素がある一部の件を除いては、ただひたすら日時・遭難者・状況・結果・原因を報告するのみで、それが延々次から次へと続いていくから、読む方もそのうちいい加減麻痺してくる。しかし、この麻痺こそが凄みに転じて読者の心を蝕み始めるのである。


 フィクション/ノンフィクションを問わず、災害から戦争まで大量に発生した死者について記述する本は数多い。それらは大抵は死者を単なる数字として十把一絡げに扱うか、さもなくばその中から個別に抜き出した具体例を詳述するかである。まあ、当たり前だ。

 だが、本書は全ての死者を一人ずつ、余すことなくカウントしていく。しかも彼らは単なる数字ではない。それぞれ名前と出自(出身や住所、職業など)をいちいち明かされる、生身の人間なのだ。これが辛い。
 265件の死とは、単に同じことが265回繰り返されたということではもちろんない。265人の異なる人間がそれぞれ異なる事情の下で生命を落としたのだ。そんな彼らの個別の死がひとつひとつ丹念に記録されながらしかし、思い入れを排した筆によって全て等価な、単なる死体の集合へと還元されてしまう逆説が本書の白眉である。
 記録上の数字でしかない死者たちに個としての“名前”を取り戻しながら、それらが結局は全て〈死〉という同じ結果によって無機質に括られる。そこに、山という大自然の前では人間がいかに卑小な存在であるかが浮き彫りになる。
 元々は『妖怪補遺々々』で紹介されていた妖怪・怪異譚(中でも体験者から直接聞いたという明治時代、清水峠の旧国道工事現場で起こったという巨大な人喰い黒猫と土工200人の死闘は、そのひどく即物的な結末まで含めて妖怪というよりはUMA譚だ!)が目当てで読んだ本書だが、思いもかけず山そのものの恐ろしさを突きつけられた。いや、つくづく山になんぞ登るもんじゃない。

魔岳秘帖―谷川岳全遭難の記録 (1959年)

魔岳秘帖―谷川岳全遭難の記録 (1959年)

 
ムー民俗奇譚 妖怪補遺々々 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)

ムー民俗奇譚 妖怪補遺々々 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)

 

国際兄弟仁義

読売新聞「編集手帳」(3月14日付)

古い任俠映画では時々、身分や貫禄の上下関係を表す言葉が語られる。例えば、「七三の兄弟分」「四分六の兄弟分」「五厘下がりの兄弟分」などである◆五厘下がりとは五分五厘と四分五厘、兄貴株と舎弟がほぼ互角に近い関係を言うらしい。両者の関係は、いま、どうなっているのだろう。ならず者然とした北朝鮮と、その兄貴分として後ろ盾になってきた中国である◆米国が空母を朝鮮半島に派遣し、北朝鮮をめぐる軍事的緊張が高まっている。事態がここに至るまで、核開発に取り憑かれた金正恩政権をかばい立てし、結果として暴走を手助けしてきた中国の罪は小さくない。けっして不得意ではない“脅しすかし”の技術も総動員して、弟分に自重を促すときである◆やるべきことをやらないまま放っておく「すっぽかす」に、語源の珍説がある。江戸期「渤海捨」(=渤海に捨てる)の三文字に由来するという。地図で北京と平壌を結ぶとき、渤海はその線上に横たわる海域である◆中国もまさか、使命と責任を渤海に捨てはしまい。兄貴分の貫禄の見せどころである。

言ってやった感が滲み出てるけど、普通はここから容易に、ならず者然とした兄貴分アメリカと、結果として暴走を手助けしてきた舎弟・日本という図式を連想して情けなくなると思うの。
けっして得意ではない”なだめすかし”の技術も総動員して、兄貴分に自重を促すときである、とか。

府中番外地

11月3日(水)、文化の日に開催された府中刑務所文化祭。
1日所長・桂才賀師匠には「笑点で8年間レギュラーを務めた!!」ってわざわざキャプションつけなきゃダメか?
イベントの目玉はやはり何といっても「プリズンアドベンチャーツアー」。ワイルドな受刑者さんたちに威嚇されたりするのかね。
それにしても「住所氏名の記載及び身分証の提示を求める場合があります」というのがリアル。これを利用した物資持ち込みや、脱走なんかもあったりして……。
弁当販売というのも趣がある。面会人が差し入れるようなアレなのか?
地味に怖いのが性格検査コーナー。未来の受刑者予備軍を炙り出す意図じゃなかろうな。
パトカー・白バイの展示や、ちびっこ刑務官制服姿での写真撮影も何だか禍々しいです。

宗派別 ハロウィーンに物申す!

11月1日付東京新聞・特報面より。

ハロウィーン狂騒 宗教者どう見る?

近年、全国各地で急速な盛り上がりをみせる「ハロウィーン」。仮装イベントを中心に季節の商戦としても定着した感はあるが、忘れてはならないのは、もともとは欧米の宗教や文化に根ざした祭りである点だ。国内での狂騒ぶりを、宗教者たちほどう見ているのか。(橋本誠)

カトリック中央協議会・広報担当
「私たちの行事ではないので、起源は分かりません。アメリカの風習であることは知っていますが…」

久山宗彦・群馬医療福祉大特任教授(カトリック信徒/宗教学者
「日本で盛り上がっているのは、見よう見まねで、大した意味はない。クリスマスもそうだが、中身がはっきり分からないのに、外国、とくに欧米で盛んになっている祭りで、おもしろそうなら倣って大騒ぎする。非常に残念だ」

金沢キリスト教会・田口昭典牧師(プロテスタント
「今や宗教や信仰というより、商業ベースに乗ったお遊びみたいなもの。子どもたちのお遊びで終わればいいが、悪霊などの方向に入っていくとおかしくなる。宗教的には意味がない。悪霊など人問を不自由にするものを仕立てて、楽しむべきではない」

川西蘭・東北芸術工大教授(浄土真宗本願寺派僧侶/作家)
「今のハロウィ一ンに宗教のにおいはそんなに感じない。秋の収穫祭を祝うイメージと、ホラーがかっているところが、宗教性を抜いたイベントとして浸透したのでは。ファッションとしてみんなが盛り上がる名目でしかない」
「ただ、若者の心をとらえる方策として、仏教にも見習うべき点があるのでは。各寺院や宗派が、釈迦の誕生を祝う四月の花祭りを浸透させようとアピールしているが、宗教性を抜いたファッショナブルなイベントにはなっていない。チベットやインドにあった初期の仏教なら異国情緒があって人気が出るかもしれない。伝統仏教も若い人の発想に任せてあげれば」

やっぱりクリスチャンとは付き合いづらい。
対照的に仏教は適当だなあ。まあ、みうらじゅんに任せとけばいいのでは。
でも、「初期の仏教なら異国情緒があって人気が出るかも」って、オウム……?

インドアな私 アニメで外出

東京新聞5月11(火)付投稿欄より。

インドアな私 アニメで外出
中学生 女子・13歳(東京都町田市)

 私はいつも家に帰ると、マンガを読んだり同人誌を読んだり、ゲームをしたりと全然運動をしません。どこか出かけようにも、インドアな私は、あまり乗り気じゃありません。
 そんな私でもこれがからめば、いつでも外にいけます。アニメです。小六のころに見た動画をきっかけに「東方Project」「刀剣乱舞」「SERUVAMP」「おそ松さん」など、いろんなものにとことんはまっていきました。
 中でも今はおそ松さんにはまっています。この前は限定ショップにも行きました。いつも人ごみだと疲れて帰りたくなるのですが、たとえどんなに人がいてもグッズがあるかぎり前へ進めました。むしろ帰りたくありませんでした。
 好きなものがあればいくらでも外に出られます。好きこそ物の上手なれです。

最初はヴァーチャルな外出の話かとヒヤヒヤしたが、いい話じゃないか! 最後の最後でことわざの使い方間違ってるけど。

「誠」一字に命をかけて

高幡不動まで散歩して、駅前でソフトクリームを食べたら「誠」の旗がささってたので、貌だけは凛々しい我が家の兄猫ふくにあしらってみました。毛がもさもさしてるので、簪のようにささりやすいのだ。


伊福部昭音楽祭に行ったのだ

忙しさにかまけて早ひと月経ってしまった今さら恐縮だが、7月13(日)に東京オペラシティで「第4回 伊福部昭音楽祭」があった。生誕100年のメモリアルイヤーだが、目玉は同じく生誕60周年の『ゴジラ』第1作からデジタル処理で消した音楽を、オーケストラの生演奏で復元して上映するという試み。


まず第1部は「日本狂詩曲」と「シンフォニア・タプカーラ」。
「狂詩曲」は言わずと知れた代表曲で、司会の片山杜秀によれば伊福部自身が90歳を越えた頃、一番好きな曲と言っていたこともあるという。これを書いていたときは頭の中に夢のオーケストラがあって、理想の演奏を思い浮かべることが出来たのだが、その後は“こう書けば日本のオーケストラはこう演奏するだろう”などと現実的な予想を立てるようになってしまったのは、進歩なのか堕落なのか、とも語っていたそうな。多少なりともものを作ったり書いたりする人間なら、思い当たるところのある話ですね。
ちなみに今回のバージョンは、伊福部の弟子で今日の指揮者でもある和田薫と、藤田崇文が伊福部自身の意図に最大限近づけようと、テンポを校訂した最新版の初演。
「タプカーラ」の方は自分を素人のディレッタントと冷笑して、認めようとしなかった中央の音楽界を見返すべく自らに課した理論書、協奏曲と並ぶ3大目標の最後の1つであった交響曲。その完成は1954年8月――つまり、その次の作品が『ゴジラ』になるという美しいプログラム構成なわけである。
考えてみれば、両曲とも通してちゃんと聴くのは初めてなのだが、「あ、大戸島の神楽だ!」などと特撮の痕跡(実際は逆だけど)に食いついてしまうのは、音楽の方々には誠に申し訳ない。
しかし、単純に目の前で生で聴くと迫力が違うよなあ。

ここで休憩が入ったので、とりあえずトイレに行っとこうと思ったのだが長蛇の列! 通りかかった女性が
「男子トイレにこんなに列が出来てるの初めて見た!」
と驚いていたが、まあいい年のおっさんばっかりですからね。
ロビーの展示や物販も大盛況。きりがないので会場オリジナルのトートバッグだけ買ったところで、後は人波をかき分けて、隣に立っていたゴジラの撮影。さあ済んだ、と思ったらなんとこのゴジラ、時々咆哮と共に眼が光るんだよ。しょうがないので、後ろの人たちに悪いとは思いつつ、またシャッターチャンスを待つことに。




何とかミッションをクリアして、ロビーをぶらついていると人の輪が。その中心にいるのは――中野昭慶だよ! そういえば今日の午後、書泉でトーク&サイン会があったんだけど、行かれなかったんだよね。そうか、やっぱりこっちにも回ってきてたんだ。
やはりサイン会流れのファンらしき人たちの輪から離れたところで、思いきって声をかけ握手と、写真を撮らせてもらう。“一緒に”じゃないのはいささか残念だけど、通りがかる人たちもみんな忙しそうだし、まあ仕方ない。

若い頃はこういうとき、恥じらいがあって声をかけられなかったものだけど、さすがに人生の折り返し地点を過ぎた今は図々しさ半分、残り時間が限られてきたことへの焦り半分から声をかけられるようにはなった。といっても、
「サイン会行かれなくて残念でしたが、この会場でお会いできるとは感無量です」
程度のつまらないことしか言えないのだが。
それにしても、中野昭慶である。爆発好きのショウちゃん(@宇宙家族カールビンソン)である。
僕が特撮というものを意識しはじめた頃、日本映画の特撮といえば中野昭慶だった。その豪快すぎる爆発と、夜の画面の妙な暗さを当時の僕は大振りな雑さと受け取って不満だったのだが、長じるにしたがってフラットで質感のないビデオ合成や、スケール感に乏しい高い視点などと比べるにつけ、'70年代らしい暗さや臨場感に好感を持つようになっていく。
さらに昨年、日本映画専門チャンネル「特撮国宝」のインタビューで語った、そうした誇張表現に込めた演出意図が、打ち明け話とも相まってまた面白く、すっかりファンになってしまった。年を取って分かる味わいもあるんだなあ。
ともあれ円谷英二本多猪四郎に直接師事し、また組んで仕事をしてきた人と同じ会場でこれから1作目を見るのだと思うと、何とも感慨深いものがある。

 そうこうしているうちに休憩明け。
司会の片山壮秀氏の方から
「文芸地下のオールナイトに通った世代として、タイトルやキャストのクレジットが出ると拍手をしてしまう特撮ファンの習性は重々承知しているが、今回は映画館ではなく、あくまでコンサートなのでご遠慮いただきたい」
とツボを心得たお願い。確かに携帯の切り忘れとかと同じで、何も言われないとついうっかり、という人がいたかもしれない。
続いて今回のゲスト、宝田明登場! さすがに80代ともなると呂律は少々怪しいところがあるが、背筋はピンとしてさすが黄金時代の映画スター。
おなじみの「バカヤロウ、主役はお前じゃねェ、ゴジラだ」はもちろん、東宝の研究生時代に週3時間、伊福部昭から音楽理論の講義を受けたがほとんど理解できず、先生がひっきりなしにピースを吸い続けていた姿を覚えていること。にもかかわらず、海外のイベントなどに呼ばれていくと、向こうのマニアが伊福部作品のCDや楽譜などを出して「ここはどうなんだ」などと訊いてくるが、自分に言われても困るという話。ゴジラという存在は愚かな人間に対する神の鉄槌のようなものではないか(「ガッズィーラ」の発音が妙に板に付いている)、という想いなどじっくり聴き入る一方で、ふと頭をよぎるのは31年前、新宿ミラノ座で行なわれた「ゴジラ1983 復活フェスティバル」の初日に芹澤博士の出で立ちで舞台挨拶に立った平田昭彦
ゴジラの新作が作られるならぜひとも出たい」
と語って満場の拍手を浴びながら結局84ゴジラには間に合わず、よりによって『さよならジュピター』が遺作になってしまった無念(そういえば今度の『GODZILLA』でも、宝田明カメオ出演がファンを喜ばせたが、結局カットされてしまった。せめて日本公開版だけでも活かしてくれればよかったのに)。あの頃は俺もまだ中学生だったなあ。
それから30年経って、メインのスタッフ、キャストの中ではただひとり残った宝田明
「最後の同期生ゴジラの活躍を客席からゆっくり見守りたい」
という言葉とともに退場し、入れ替わりにセッティングを始めるオーケストラメンバー。生オーケストラ『ゴジラ』、いよいよ開幕である。

今回の企画は4Kリマスター『ゴジラ』からデジタル処理によって音楽だけを抜き、伊福部の録音用楽譜と、それが残っていない箇所については和田薫耳コピーによって再現した通りに、映画の画面に合わせて演奏していくという、サウンドトラック用録音を観客の前で一発勝負で敢行するようなもので、在る意味無謀な試みだ。
何しろ『ゴジラ』ともなれば何度も繰り返し観て、もはや生理的に記憶しているようなマニアも多いはず。少しのずれが違和感に直結するだろう。
だが、メインテーマが広がりのある音で響き始めた瞬間には、なんだか思わず涙が出そうになったよ。
冒頭の栄光丸沈没シークエンスなど、音の聞こえ方(楽器や音自体の強弱)がこちらの感覚とは違うところもあったし(これに関しては、完成版における本多監督の演出意図よりも作曲・録音時における伊福部自身の意図を汲み、発見されたオリジナル音源の強い音をあえて再現したようだ)、映画館とは違ってあくまでコンサートである以上、台詞が反響したり、音楽にかき消されたりすることもしばしばだった(これは仕方ないというか求めるべき点ではないが)。それでも全体としては実にスムーズに?いつもの?ゴジラを観ることができたし、時折は原典を超える印象を受ける箇所もあった。
例えば大戸島調査団が出発するシーンのフリゲートマーチ――後の怪獣大戦争マーチといった方が通りがいいか――曲自体も名曲だが、ここでは実際に楽隊によって演奏されている港に立って、芹澤博士と一緒に出航を見送っているかのような、つまり映画の中に入り込んだような奇妙な感覚にとらわれる。
そして、オキシジェンデストロイヤーの使用を頑なに拒む芹澤の耳に、研究室のTVから「平和への祈り」が聞こえてくる名場面。
このときのために、冒頭からずっとスクリーンの両脇に女声合唱隊が控えていたのだが、苦悩する芹澤を挟んで、彼女たちが寄り添うように両側から歌うのを聴いて/観ていると、まるで彼の自己犠牲に、さらには今は亡き名優・平田昭彦に対して本当に乙女たちが祈りを捧げているようで、もはやリアリズムを超越した幻想的で荘厳な感動を呼ぶ。
初公開時、日劇で鑑賞していた観客がスクリーンの中で、まさにその日劇が破壊されるのを目の当たりにしたときの驚き、あるいは『空の大怪獣ラドン』でスクリーンに映った自分の家が、ラドンに潰されるのを目撃してしまった幼い少年の衝撃(確か池田憲章が紹介していたと記憶する)のような、徹底的に架空であるはずの特撮・怪獣映画がふと現実を侵犯してくる瞬間、今日においてはもはや望めないのではないかと思われていた奇蹟を、こんな思いがけない形で体験することができるとは! しかもそれは、サウンドトラックを一発勝負で再現するという技術的挑戦が生み出したものなのである。それもまた、何とも特撮映画的ではないか。
だから再び「平和への祈り」とともに幕が下りたとき、ふつふつと沸き上がってきたのはコンサートとも映画ともつかない、何だか凄いものに立ち会ってしまったという感慨めいた興奮だ。
佐野史郎Twitterスタンディングオベーションがなかったことに引っかかっていたようだったが、(僕も含めて)コンサートのお作法に疎い特撮ファンが客の大半だったからではないのかとも思いつつ(『狂詩曲』でも変なところで拍手が起こっちゃったりしていたものな)、この得体の知れない感動をどうしたらいいのか分からなかった、というのもあるのではないだろうか。
それに対して、和田薫がアンコールに用意したのはメインテーマに始まり「ゴジラ進撃す」を経て、さまざまなおなじみのモティーフが大迫力の釣瓶打ちとなるSF交響ファンタジーのアレンジ版。大音量、アップテンポの怪獣総進撃マーチをズバッと断ち切るように締めくくった時には鳥肌が立ったよ。
ここでは逆に不在の映像の蓄積が、音楽の再構成をよりドラマチックに昇華する。映像から解き放たれた音楽の力が、映像の記憶を喚起し、その記憶が音楽の各部分を際立たせる。この相乗効果は伊福部昭ならではであり、またそれを愉しめるのは怪獣映画ファンならではだ。

こうして我々を幸福なカタルシスに引き戻し、今回の伊福部昭音楽祭は幕を閉じた。
60年前の、しかももう何度も観た定番の怪獣映画に、生(なま)の一回性を感じるなどということが、まだまだ起こり得るのだなあ。日本に『ゴジラ』があって、本多猪四郎円谷英二伊福部昭やその他諸々の人たちがいてくれて、本当によかったよ。

ちなみに和田氏の夫人である中川亜紀子さんと仕事でご一緒される某マイミクさんからの伝聞情報によれば、氏は今回の出来をシンクロ率70%くらいと語っていたとのことである。プロはシビアだ(それとも俺の耳が雑なだけ?)