神様が語るプロ野球と災害(その2)

白球の記憶 災害復興とプロ野球
杉下茂さんに聞く


中 中日球場大火災(1951年)
被災者「野球頑張れ」


私は伊勢湾台風の他にも災害に遭った。これは人災だ。1951年8月19日中日球場(現ナゴヤ球場)で行われた中日―巨人戦の最中に起きた大火災は、プロ野球史上最大の惨事と言われた。
あれは暑い日だった。三回裏の午後3時58分。私は先発だったが、攻撃中だったのでベンチにいた。突然、
「火事だ」
と大声がした。飛び出してバックネットを見ると、2階席付近が燃えている。よく「火が走る」というが、あっという間に燃え広がった。
スタンドが木造だったことが災いした。猛烈な勢いの炎が観客を襲った。バックネットを乗り越えようとする者、女性や子どもを抱えて走る者。2万4000人が押し合い、倒れた人を踏み付けて逃げ惑った。
私たちは避難せず、安全なグラウンドに降りるように観客を誘導した。後日、
「私はあのとき、杉下さんに抱きかかえられて逃げられたんですよ」
という人に会ったが、必死だったので覚えていない。巨人の選手も一緒になって観客を助けたことが救いだったが、内野席はすべて焼け落ちた。最終的に死者は4人、負傷者300人を数えた。後で聞くと、たまった弁当の空き箱などのゴミにたばこの火が引火したのが原因だった。
私たちは
「もう、野球どころではない」
と虚脱状態に陥った。しかし、翌日、被災者が入院している病院を見舞うと、煙で真っ赤に充血した目で
「野球選手は野球を頑張ってください。それが私たちの力になるんです」
と逆に励まされた。
今回の震災後も
「野球をやっている場合なのか」
と悩んでいる選手がいると聞いた。しかし、あきらめない姿勢、全力プレーを見せることは野球選手の務めだと思う。
私たち中日は3年後の54年に球団初の日本一を勝ち取った。実はあの大惨事への思いというものが、自分たちの中で大きな力になった。大歓声を聞いたとき、彼らへの恩返しが少しはできたのかとうれしくなった。(続く)