神様が語るプロ野球と災害(その1)

3月28日〜29日にかけて東京新聞に掲載された、プロ野球と災害についての“フォークボールの神様”杉下茂の回顧談。

白球の記憶 災害復興とプロ野球
杉下茂さんに聞く


東日本大震災発生から2週間あまりが過ぎた。多くのスポーツイベントが中止となる中、選抜高校野球が始まり、プロ野球は4月12日に両リーグ同時開催が決まった。日本はこれまでにも天災や戦災を経験してきたが、そんたびに野球が人々に元気を与えてきた歴史がある。関東大震災があった2年後の 1925(大正14)年生まれで、80年間、日本の野球を見続けてきた杉下茂さん(85)に、復興にまつわる白球の記憶を聞いた。(谷野哲郎)


上 伊勢湾台風(1959年)
水没、それでも試合


今回の痛ましい震災を見ると、私は1959(昭和34)年9月26日の伊勢湾台風を思い出してならない。強風と大水で名古屋市の南部が壊滅状態になり、全国で死者5000人以上を出した大災害のことだ。
当時、私は中日の監督をしていた。広島に遠征中で被災は免れたが、急いで戻った翌日、信じ難い光景を目にした。水は膝まである。電線はズタズタに寸断されている。合宿所の荷物はすべて吹き飛ばされ、後日、何キロも離れた家の人が
「こんなのがうちに飛んできた」
と届けてくれた。
最も怖かったのが水だ。知人からは
「家にいて『水が来た』と2階に逃げようとしたら、階段まで行く間にもう首まで浸っていた」
という話を聞いた。どこから入ったのか、中日球場のグラウンドに転がる何本もの丸太が不気味に見えた。
このときは1週間後の10月3日に試合を強行したが、上げ潮の時間に再びグラウンドが水没した。途中でコールドゲームになり、以後は川崎、広島、後楽園など他球団の球場に振り替えられた。日程変更は極めて大変な作業だった。今回、巨人などのセ・リーグが開幕延期を渋った理由も心情としては理解できる。
私たちが野球でどれだけ被災者の気持ちを救えたのかは分からない。しかし、あのコールドゲームでも、何千人もの観客が来てくれた。その一人から、
「俺は家が水に浸っているのに来ているんだぞ。おまえらもしっかり頑張れ」
と声が飛び、スタンドはどっと湧いた。私はあのたくましさこそが、町の復興につながったと信じている。(続く)