怪談仕込み中

5月25日付東京新聞夕刊文化欄より。

怪談トークで東北支援/東雅夫

日本民俗学の父・柳田國男の名著『遠野物語』は、岩手県遠野地方出身の文学青年・佐々木喜善が、柳田邸で催された怪談会の席で披露した地元岩手の怪談奇聞を、柳田が筆録再話して成った。今日いうところの「怪談実話」本の偉大な先駆というべき書物である。
同書の第九十九話は、明治二十九年の三陸津波で妻を流された男が、死んだはずの妻と、月夜の浜辺でつかのま再会する哀れ深い物語だ。ところが妻には男性の連れがいる。それは嫁入り前に相思の仲と噂された相手で、やはり津波の犠牲者なのだった…。
現世で添えない異性とあの世で夫婦となるという発想は、東北地方に伝わる冥婚(死者同士もしくは死者と生者との儀礼的な婚礼)の風習を思わせるが、その一方で、天災の犠牲となった死者たちに、せめても彼岸では幸福に暮らしてほしいと願う遺族の切なる心情が感得されて、粛然と頭を垂れるほかはない。
津軽世去れ節』などの名作で知られる直木賞作家・長部日出雄氏は、幽明両界があたかも地続きにすら見える郷里の風土を「津軽は死者に近い土地である」と喝破したが、これは津軽に限らず、古来「みちのく」すなわち「道の奥」と称された東北地方全域についても当てはまる言葉なのではなかろうか。
だとすれば、死者に近い文芸、死者に手向ける物語たる「怪談」を切り口に、東北の地域文化に新たな光を当て、さらなる活性化を図ることも可能ではないのか…仙台の出版社「荒蝦夷」の土方正志代表と私は昨年、そうした思いを胸に「みちのく怪談プロジェクト」を旗揚げした。
盛岡在住の直木賞作家・高橋克彦氏や、東北学を提唱する民俗学者赤坂憲雄氏といった頼もしき賛同者を得て計画は順調に進展、名著の復刊や雑誌特集、みちのく怪談コンテストと銘打つ公募企画、座談会などをおこない、望外の反響を頂戴することもできた。
そうした成果を踏まえて二年目の飛躍を期していた矢先の三月十一日―未曾有の震災によって、荒蝦夷の事務所とスタッフの自宅、主要な取引先である地元書店の多くが、深刻な被害に遭った。現在スタッフは山形に仮事務所を借りて、再起へ向けての活動を続けている。
プロジェクトの中断もやむなし、という厳しい状況にもかかわらず、土方氏は「鎮魂としての怪談」をテーマに、今年もコンテストを開催する決意を、いち早く被災地から表明。これには、われわれ周囲の側が逆に励まされることになった。


現在、私が発起人となって全国で開催を計画している「ふるさと怪談トークライブ」は、右のプロジェクトを支援するためのチャリティ・イベントである。「みちのく怪談」ではなく「ふるさと怪談」と銘打ったのは、怪談による地域文化の振興という理念を、この機会に日本各地に広め、連携を模索していきたいと念願しているからだ。
このためトークライブでは、前半を「ふるさと怪談とは何か」の講演と、山形在住の新進怪談作家・黒木あるじ氏が撮影編集した「被災地からのビデオレター」上映にあて、後半は地元有志をゲストに迎えて、ご当地の怪談話を語っていただくという二部構成にしている。
ふるさとの記憶を、懐かしい日常も恐ろしい天変地異も、ひとしく物語の形で心の中にしかと刻みつけ、次世代へ伝えてゆくこと―をの必要性を今こそ痛感されている方は、決して少なくあるまい。怪談は、そのためのコミュニケーション・ツールとしても、有効に機能するに違いないと確信する次第である。

「鎮魂としての怪談」というテーゼを、こんな形で痛感することになるとは思わなかった今回の震災。現場レベルでは、いろいろと生(ナマ)の断片が遍在しているんでしょうが、「怪談」として醸成されていくのはこれからなんでしょうね。
例えば、下のように。

被災地・福島を訪ねる
主婦 辻佐矢子・51歳(東京都立川市

福島県南相馬市の避難所の自転車を借りて津波災害地を回りました。そして写真や映像とは違うことに戸惑いや困惑に襲われました。
帰宅後パソコン画面の地図で見た被災前の渋佐地区は、海岸近くに住宅が点在していました。しかし、その家並みも消えて、干潟のように汚泥が覆っています。いまだに行方不明者が9千人以上おり、消防隊員は土の下に埋もれている人が大勢いると話していました。
私が引き返す時、自転車が汚泥に埋まって進めず、後ろを振り返ると、黄色い女性のサンダルと幼児の靴が転がっていました。「待ってくれ、置いていかないで」と叫ばれているような感覚に突かれました。行方不明者の判明に向けた作業を自衛隊や消防隊員だけではなく、大勢でする必要があると思いました。
(5月19日付東京新聞読者欄)

立川の主婦が南相馬で自転車借りて何やってんだ? という疑問はさておき。
自転車が泥に車輪を取られたことと、サンダルや靴とがぼんやりと結びついてはいるのだが、そこから導き出される“結論”にまだ切実さが足りない。幾人もの語りを経ていくうち、あるいはそこここで似たような体験者が増えるうちに、「怪談」となっていくのだろう。

ていうかこの主婦、“まだまだ埋まってるからみんなで掘ろう”と言ってるのと同じだよなあ。
いや、それ自体は間違いじゃないけど、えらく他人事口調だ。まあ、明らかに他人事なんだけど。