美妙な怪談

村松定孝の児童向け名著『わたしは幽霊を見た』('72年、少年少女講談社文庫/いわゆる“ふくろうの本”)の中に、「本を読みにくる亡霊」という逸話がある。


昭和9年の正月二日、児童文学者・国文学者の福田清人が、先輩の国文学者・塩田良平の家に年始に訪れたところ、塩田夫人から昨日も来なかったかと尋ねられた。聞けば昨日、塩田博士の書斎で、福田そっくりの髪型をした若い男が後ろ向きになって、本を読んでいたのだという。てっきり福田だと思いこんだ夫人が、遠慮して声をかけなかったところ、男はいつの間にか姿を消していた。
まったく心当たりの無かった福田だが後日、塩田からその若い男が、今は亡き明治の文豪・山田美妙の息子である旭彦氏の霊ではないか、と聞かされる。塩田は困窮していた美妙の遺族を助けるため、蔵書や遺稿を買い入れていたのだが、旭彦氏はそれを読みに現われたのだろうというのだ。新聞によれば、旭彦氏は当の1月1日に亡くなっている。そして、塩田に見せられた写真の旭彦氏は、福田そっくりの髪型をしていた――。


確かに、美妙亡き後、遺族の暮らしは楽ではなかったそうだし(未亡人は孫に「作家にだけはなるものではない」と言い聞かせていたそうだ)、長男の旭彦が亡父の文学的復権を心にかけていたことも、例えば『近代日本文芸読本』に美妙の作品が採られたことの礼を述べようと、編者である芥川龍之介の許を訪れた(芥川自殺の当日であったため、対面は叶わなかった)ことなどにも窺える。
しかし一方で、この「本を読みにくる亡霊」には、ディテールにいささかおかしな点もある。
本文中、旭彦には「てるひこ」とルビが振られているが、美妙の長男・旭彦は「あさひこ」、「てるひこ」は次男の照彦である(美妙は子供たちの名前を、「あ・で・や・か・な」にちなんでつけている)。
また、旭彦の没年は確かに昭和9年だが、実際に亡くなったのは4月18日だ。


この齟齬を含んだ幽霊譚に関して、旭彦氏の息子(つまり美妙の孫)である作家・加納一朗氏に直接伺う機会があった。
加納氏自身、若い頃に塩田氏から、亡父・旭彦氏の幽霊を見たと何度か聞かされたという。帰宅すると後ろ向きに座っていたそうで、当時まだ6才だった氏の行く末を案じて、親交のあった自分の許へ現われたのだろう、と言われたそうだ。
この加納氏の話と、「本を読みにくる亡霊」では、幽霊出現の動機に違った方向性がついている。ディテールの齟齬を踏まえれば、「本を〜」のほうがいささか怪しいとも思えるが、塩田→福田→村松と伝播するうち、どこかでバグが入り込んだのかもしれないし、加納氏のほうに記憶違いが無いとも言い切れない。あるいは、幽霊が何度か、違う状況下に現われたのかもしれない。


ともあれ、この近代日本文学の裏面史的要素をもつ怪談が、加納氏に接続することによってさらなる世代的な広がりを有し、現代にまでつながってくることに、いささか感慨を覚えたのだった。


追記(2011/02/11)
本記事についてsamatsutei氏がブログ『瑣事加減』で触れてくださっている。氏は『わたしは幽霊を見た』の各話について綿密な考証を加えているほか、綺堂の「木曾の旅人」など怪談関連の記事も多く執筆しているので、興味のある方は。