歌舞伎おそるるに足らず

東京新聞夕刊連載・松本幸四郎「この道」(10年12月25日付)より。

昭和32(1957)年文学座の『明智光秀』に父と出ていた時のこと。劇評では父ばかりが絶賛され、文学座にはどうにも分の悪い状況のまま千秋楽を迎えた。その最後の舞台を袖から見ていた僕の前を、それとは気付かず、当時文学座の客員であられた久保田万太郎先生が、鼻眼鏡に三つ揃いのお決まりのスタイルで通られた。いつもの癖で、ハンカチで鼻を拭きながら、出を待っている芥川比呂志さんのところへ歩み寄り、
「どう、歌舞伎。たいしたことないだろ」
と、皮肉っぽく小声で囁かれた。先生なりの励まし方だったと思う。


昭和39年秋、東京の明治座で『さぶ』の栄二を演じた。それより少し前、原作者の山本周五郎先生が、『車引』の松王丸を見てくださり、終演後の楽屋へ訪ねてくださった。着流しに懐手、素足に草履、左手にはコップ酒があった。
「お前さんは希有な役者だねぇ。見得をきるだろ、その時に、ググっと右手が5寸ばかり伸びるよ」
楽屋口に寄りかかるようにして、いきなりそれだけおっしゃった。

戸板康二『ちょっといい話』の中に、新劇(文学座だったかなぁ)の若手が稽古場の椅子に足を組んで偉そうに座り、「火」とか「コーヒー」とか言うたび、そばに控えるもうひとりがうやうやしく差し出す、というのを繰り返しているのを見て、先輩が「何やってるの?」と訊いたら「幸四郎ごっこ」と答えた――というエピソードがあった。
歌舞伎と新劇、いろいろあるんだろうね。

山本周五郎はイメージ通り。